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丸森町台風第19号災害再生計画 ~早期復旧による元気な丸森復活に向けて~

関連するSDGs目標

  • 働きがいも経済成長も
  • 産業と技術革新の基盤をつくろう
  • 住み続けられるまちづくりを
  • 陸の豊かさを守ろう

概要

このプロジェクトは内閣府のこちらのページをもとに作成しているため、プロジェクトの詳細内容が更新されている内容と異なる場合がございます。自治体のご担当者の方で情報更新等ございましたらこちらのフォームよりご連絡ください
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地域再生計画の目標

【地域の現状】

(地理的・自然的特性)

丸森町は宮城県の南端に位置し、南西は福島県と隣接している。町の北部を阿武隈川が貫流し、その流域と支流河川(内川・雉子尾川)の流域一帯が平坦地を形成しているものの、南東部は500m内外、北西部は300m前後の阿武隈山地の支脈で囲まれた盆地状の町である。町の総面積は273.30平方kmで仙南広域圏の約17.7%、宮城県の約3.8%を占める。

(観光)

蔵の郷土館齋理屋敷、阿武隈ライン舟下り、不動尊公園キャンプ場、国民宿舎あぶくま荘、百々石公園等の施設があり、国内外から観光客を誘客しており、観光交流人口は平成27年618,941人だったが、平成30年には581,276人と約38,000人の減少となっている。本町には阿武隈渓谷県立自然公園が4地区(阿武隈川地区、内川・岩岳地区、夫婦岩地区、手倉山地区)あり、四季折々の景観を楽しむことができる。また、クラインガルテン(滞在型市民農園)や農業をはじめ、様々な体験の受入れによってグリーン・ツーリズムを推進している。大正ロマン時代にタイムスリップにしたような幻想的な一夜を体験できる齋理幻夜(8月上旬)や町内の起伏に富んだ地形を利用し、自転車で美しい風景と地元食材を堪能しながら楽しめるサイクルフェスタ丸森(10月上旬)等のイベントを開催している。

(令和元年(2019年)10月襲来の台風第19号による災害)

令和元年10月12~13日にかけて本町に襲来した台風第19号は、町内全域において、過去に類のない甚大な被害をもたらした。総雨量は約600㎜、最大時間雨量は78㎜で、いずれも観測史上最大となり、河川の決壊は県管理3河川18か所、土砂崩れは至る所で発生している。これらの被害により、10人の尊い命が失われ、今もなお1人が行方不明となっている。住宅被害は1304世帯となり、本町全世帯の1/4を超えており、家屋への浸水は1000世帯を超える。被害額は、公共土木施設・農林業施設等で2,432か所約310億円を始め、総額は400億円を超えており、これは、町予算の約5年分にあたる。この他、町内には住民自治組織の拠点施設である、まちづくりセンターが8箇所に存在し、生涯学習、文化継承、地域づくり、自主防災などの活動が行われ、地域住民の憩いの場となっていたが、浸水被害により町民が集う場がなくなり、これまで構築されたコミュニティーの崩壊も危惧される。今回の被害においては、様々な機関や全国から暖かい支援を受けている。被災直後から、自衛隊、消防、宮城県警、海上保安庁による人命救助や捜索には延べ6,000人を超え、町内全域での断水による給水支援には、自衛隊、国土交通省、東京都、仙台市を始め県内外自治体からの応援や、避難者には、全国各地からの貴重な飲料水を始め多くの支援物資をいただき、自衛隊での入浴支援は約1か月にわたった。避難所には、保健・医療・福祉関係を中心に、多くの

機関や団体に駆けつけていただき、厳しい避難所生活の中においても、心身の健康につながった。

さらに、全国各地からのボランティアには、浸水や土砂災害を受けた家屋を中心に、土砂や家財の撤去等、家族では対応しきれない大きな労力をいただき、その数は延べ16,000人を超える。企業からの支援では、阿武隈川支流である、雉子尾川の越水により、避難所の浸水と併せ、市街地での家屋浸水が激しい金山地区における炊き出しや家屋土砂撤去等を始め、町内各地で多くの自主的な活動があり、民間の力を強く感じたところである。また、全国自治体からの人的支援は災害対応に追われる本町職員を始め、被災した町民にとっても大きな励ましとなっている。北海道庁や道内自治体からの1か月にわたる対口支援、平成30年の西日本豪雨や北海道胆振東部地震の被災地で、今もなお復旧・復興の最中にも関わらず駆け付けていただいた、愛媛県西予市、兵庫県朝来市、北海道厚真町には、経験を踏まえた支援は力強いものがあり、宮城県や宮城県内の自治体には、自らが被災地でありながら多くの支援をいただいた。姉妹都市である北海道北見市からは、災害協定に基づき、市独自に被災当初から約2か月間にわたり派遣していただき、同じく同市端野町姉妹都市交流協会からもボランティアが駆け付け、これまでの交流活動による強い絆を感じることができた。

これらの支援に町民は言葉が出ないほど感謝している。例えば、被災当初から様々な活動をしていただいた自衛隊の解隊式においては、多くの町民が駆けつけ、これまでの活動に感謝し、隊員を見送り、小学校の避難所では、少しでも役に立ちたいと小学生が自ら清掃を申し出し、支援者の入れ替わりの際には、避難者は涙ながらに感謝を伝えた。このような中、少しずつではあるが町民は元気を取り戻し、最大545人が避難していた全16か所の避難所は、応急仮設住宅への入居等により、令和元年中に閉鎖した。

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